紺碧の不知火海に、真っ白い帆をいっぱいにふくらませて滑っていくうたせ船。
遠くから見ると白いドレスでおしゃれした「海の貴婦人」のような優雅な姿で魅了してくれます。うたせ船は不知火海のシンボルです。
大きな4本のマスト、前後に突き出した2本のさおに張った大小九つの帆に風をうけ、潮の流れに身をまかせて、大海原に風と共に浮かびます。
漁法は、海の底に入れた網に仕掛けがあり袋状になった7つの袋網で海の底の獲物を引き上げる伝統の底引き漁法です。
不知火海にたゆたう姿は、自然に逆らわない暮らしと海の原風景そのものの絵巻を見る思いです。
うたせ船のおこり
うたせ船の起源は、おおよそ四百年前瀬戸内海が本場とされ当地へ伝わってきたのは明治の初期といわれています。
基地港は計石でいくつかの歴史があり、天正八年(1580年)相良軍が島津の水軍を迎え撃って撃退しました。
また、慶長2年(1597年)にオランダ船が平戸に先立ちこの港に立ち寄り、交易を求めました。
当時の計石には細川藩時代に遠見御番所が置かれ、芦北の浦々にはお抱え水夫(かこ)も多く居ました。これらの水夫は藩の御用によって日本漁業の先進地である近畿地方に度々出張し、他所での漁業を見聞きする機会も多くあり、うたせ網漁業が積極的に導入されました。
現在用いられているような網は、合採網(がっさいあみ)といって幕末から明治にかけて普及したものです。
これは、一名「芸洲流し」といい芸洲(広島)の漁師が芦北ではじめたのが起こりで、芦北ではうたせ網のことを「流れ船」と呼び、底引き網を帆船で引く漁法で、収穫は主にアシアカエビ、イシエビ、カニなどです。
昭和56年(1981年)には、お客様を乗せる観光船としてスタートしました。
情報
※一隻あたり15,000円(税別)の船上料理が注文できます。
レディース船 50,000円(税別)
※エアコン、洗面台、水洗トイレなどが付いています。
●お問い合わせ
芦北町漁業協同組合 TEL 0966−82−2066